ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

人と言うのは何処まで我が儘なのか

コロナウイルスの影響でテレワーク(インターネットを利用した在宅勤務)が浸透し始めている。


外出を減らすことで罹患の可能性が低下することを期待した対策である。


ただし、業種によってはどうしてもこのテレワークが出来ない仕事も多い。そう言う人達は感染の危険を冒して満員電車で通勤している。医療関係者や生活必需品の店頭販売に従事する人達は不特定多数の人と接しなくてはならない。


こう言う時期にテレワークで仕事が出来る人は幸運だと思うべきだろう。


しかし、テレワークにしたくても出来ない人達からみたら幸運な人間でありながら不満を漏らす人達が少なからずいるものだ。


以下の記事はダイヤモンド電子版のリンクである。


   


困難があると言うが、記事のどこが困難だというのだろう。私の感想だと単なる我が儘以外の何物でもない。はっきり言って、優遇された物達の優越感が滲み出ている記事にしか思えない。


オフィスで仕事をしていれば人間関係がどうの、周囲の音がどうの、上司の目が気になるなどの不平を漏らすのに、いざテレワークになると真逆の不平を漏らしている。


記事の最後にも書かれているが今回の事で企業のテレワーク化は促進されることだろう。テレワーク化は企業の設備費や社員の通勤費などの経費が軽減される結果を生むため、企業としてのメリットが再確認されるに違いない。


不平の中に自宅が仕事をするには狭いなどと言うものもあるが、企業は今後通勤費が削れる分を住宅手当として支給すればいい、テレワークになればわざわざオフィスのある都心近くに居を構える必要がなくなるのだから少し離れた街に広めの部屋を借りれば良いのだ。


都心から離れた地域で空室に苦しむアパートオーナーの救済にもなるし、都心の過密化も解消されるのではないだろうか。


いずれにせよ、今回のウイルス騒ぎで感染率が下がる対策としてのテレワーク推奨と言う判断は間違ってはいないと思う。


意見の中で特に目に付いたものが以下のもの。


「ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車はイヤだけど、毎日同じルートをたどる通勤は、実はいろいろな発見があって楽しい。新しい店ができたり、周りの人たちの服装やツールが変わったり。流行や世相を知る意味でもよかった。家にいると、受動的に入ってくる情報量が減るので、そこが課題」(30代前半/編集)


流行や世相を知ることと命とどちらが大事なのか頭を疑う発言だ。


命の危険に晒されながら現場で働く人達の前で同じ発言が出来るだろうか。


マスコミはこう言った不満ばかりをピックアップして記事にする。テレワークによる恩恵やメリットについては記事にしない。


多くの人がこう言った記事を目にするといかにも世の中には不満で溢れていると勘違いするに違いない。


今一度言おう。


世の中の大半の人はテレワークにしたくても出来ない人が大勢居るのだ。いつ自分が感染するかも分からない状況で外で働かなくてはならないのだ。


記事で意見を述べた人達は単に取材に答えただけかも知れないが余りにも軽薄でこの非常時において常識を疑うような意見だと思う。


私は既に4年近く在宅で仕事をしているが特に不満は無い。運動したけれぱ部屋や近所の公園ですれば良い、誰かと話したければ電話したり同僚同士でチャットでもすればいい。嫁と四六時中顔を会わせたく無ければ工夫すればいい、今時テレワークが可能な企業に勤めていて六畳一間に住んでいるとは思えない。


私の女房も来週辺りからテレワークが始まる。勤務先からパソコンが一式届いている。
だからと言って四六時中顔を合わせるとは限らないし、だからなんだと言うのだ。3匹居る猫は一日中歩き回って遊んでくれとせがむがそんなものは放っておけばいいのだ。


人間と言う物は常に不満を口にしないと生きて行けないのだろうか。


イラっと来たので雑感を書いてみた。

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