ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

薄れ行く記憶

先日、珍しくシリアスな夢を見ました。


大学4年の冬から翌年就職してからの1年、トータル2年近く付き合っていた?女性が夢に出てきました。


外見は小柄で華奢な印象、性格はおっとりしていて口数は少なかったように思います。


結構裕福な家のお嬢様だったようで大きな屋敷に住んでいて、仕草などに粗雑な所はなかったと記憶してます。


夢はそんな彼女が奥さんで平凡にマンションで生活している様子でした。


テーブルを挟んで子供がどこの幼稚園に入るか相談してる様子でしたね。


当時の付き合いは家から距離があったことも有り、月に1度くらい彼女の家のある箱根を訪れて食事をしたりドライブしたりする程度で、手は付けていません。(^_^)


今のようにスマフォなど無い時代、連絡手段は家の電話のみでしたから気軽に長電話も出来ませんし、意思疎通がなかなか進まなかったように記憶してます。


彼女の年齢は1つ下で妹が一人、外見とは違い割と大人びた雰囲気がありました。


都内の4年制女子大に通っていて知的な会話も出来る女性でしたね。


当時の私は彼女を観察するような接し方をしていて、距離を詰めると言う付き合い方ではありませんでした。


それでも、彼女は私の誘いを1度も断ったことは無く、一度は自宅に上げて両親に紹介されたこともありましたし、親友という女性に紹介されたこともありました。


彼女が私をどのように思っていたかは分かりません。


彼女との関係が2年になろうとした頃、夕刻に御殿場のラブホ街の横を通過している時に彼女は一言呟きました。


「こう言うところでするのってなんか虚しいよね」


ちょっと意外な言葉にギョッとして適当に返事をした記憶があります。


今にして思うに、あれは分岐点だったかも知れません。


「高級ホテルでならいいの?」


なんて聞き返していたらどんな反応をしたんでしょうね。


「それならいい」


なんて応えたのでしょうか。(^_^)


実際、何もしてこない私に苛立ちを感じていたのかも知れません。


日本人の感覚として明確な告白が関係を一歩前進させるステップだとすると私は結局の所そこへ踏み出せずにいた訳です。


今の嫁とはそんなステップを踏みながら結婚に至った訳で、人間には節目となるイベントは大事なのだと感じたのです。


女心を解さない野暮な私はその後仕事に忙殺されて彼女との連絡を取らなくなりました。


と言うか、違う女性の観察を始めたと言うのが本当の所です。(^_^)


常に受動的だった彼女は私からのアプローチを待っていたのか、結局向こうからの連絡は一切ありませんでした。


今では彼女がどんな声で話したか、どんな笑い方をしたか全く覚えていません。


残っているのははにかんで立っている22歳の彼女の写真が一枚だけ。


全ては仙石原の濃霧の中です。(^_^)


今でも彼女の家の前を通る時がありますが、すでに当時の屋敷はなくなりビルが建っています。


ただただ、幸せな人生を歩んでいてくれと願うばかりです。

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