ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

過去の伝染病を振り返る

かつて日本で猛威をふるった伝染病はコレラです。


コレラ、もとはインド・ガンジス川流域特有の伝染病でしたが、西欧とアジア諸国の交通が盛んになった19世紀に世界中に飛び火しました。1817年、コレラの最初の世界的流行が起きました。


日本でも幕末から明治にかけてたびたび流行しています。最初の流行は、1822年(文政5年)のこと。中国経由でコレラ菌が持ち込まれましたが、このときは西日本が中心で江戸には至りませんでした。ところが、1858(安政5)年には日本全国に流行し、江戸だけで10万人、一説には26万人ともいわれる死者を出しました。そこから、当時の人々はこの病気を「コロリ」と呼び、「虎狼痢」「古呂利」などとも当て字をしていました。


以下の画像は明治19年に描かれたコレラ菌の風刺画です


「仁」と言うドラマをご覧になった方は記憶にあると思いますが、主役の南方医師が命がけで治療にあたる姿が描かれていました。


この時の罹患者の死亡率はなんと6割近かったと言われています。


殺菌と言えば焼酎をブッと吹きかけるくらいしか無かった時代ですからまたたくまに感染が広がったと想像できます。


飽くまで想像ですが、江戸っ子気質とやらが災いしたのかも知れませんね。


「べらんめい、こちとら命張って生きてんだ。コロリなんぞが怖くてどうするよ」


こう言うお調子者が町を徘徊してコレラ菌をあちこちにばらまいて歩いたのかも知れません。


手に付いたコレラ菌をあちこち触って拡散したかも知れません。


しかし、町中に患者が溢れ、死者を運ぶ棺桶を頻繁に目にするようになって始めてコレラの危険性に気づいた時には手遅れで自分も発症してしまう・・・。


「コレラ」は、感染後2~3日の潜伏期間を経て、激しい下痢や嘔吐などの症状が出ます。進行すれば、脱水症状に陥り、けいれんや意識障害を起こすほか、場合によっては死に至るとありますが、適切な処置が行えなかった江戸期では多くの死者を出したと思われます。


現代はどうでしょう。


江戸期に比べたら情報の拡散は飛躍的に発展しています。テレビやネットを介してコロナウイルスの危険性を報じていますから必ず目にしているはずです。


しかし、いくら自治体などが外出自粛などの要請をしても聞く耳を持たない人達がいます。


それは明日への希望が持てない人達です。


経済的に困窮して自暴自棄になっている人や心を病んで自殺願望のある人など・・・。


「どうせ生きていてもしようがない」などと言って、報道などを意に介さない。


また、これまでの習慣を抑制できない人達です。例えばギャンブル依存症やアルコール依存症の人達です。


こう言う人達は得てして遊戯施設や居酒屋などに集まります。


日本人は上の指示を良く守る国民と言われていますが、意識の欧米化が進んだ結果ですが権利意識が高くなった為に要請にわざと反発する人達もいます。


馬鹿な話ですが、現政権に反発するが故に政府の指示にわざと従わない輩も湧いてくる可能性があります。


一握りの非常識な人達に感染者がいれば感染の拡大は止まらないでしょう。


アメリカやフランスでは外出自粛要請ではなく禁止にしています。


日本政府は日本人の国民性に期待して要請レベルで済まそうとしていますが、とても危険な判断だと思います。


余談ですが、中国はウイルス拡大を抑制したと勝利宣言のようなことを報じていますがそれは都市部の話であって、貧困な農村部では拡散が続いていると思います。


恐ろしい想像ですが、中国政府は15億とも言われる人口を抑制し適度な人口にするために貧困な農村部を放置している可能性もあるのです。


報道規制が可能な中国では全くと言っていいほど農村部の多い地域の報道をしていません。蓋を開けてみたら死者は数千万単位なんてこともあるかも知れません。


国民の生死をコントロールできる国家と言うのは恐ろしいですね。


逆に日本政府は国民に裁量権を委ねているために生死をコントロール出来ていないのではないでしょうか。放置が続けば被害は拡大し続けるだけです。


治療薬やワクチンが利用できるまで悲劇は続くことでしょう。

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