ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

プーチンと信長

以前からブーチン大統領と織田信長のイメージをだぶらせていたんですが、元安部総理もそなのように思っていたと言う記事を見ました。


織田信長も冷酷な人物と言う評価を受けることがありますが、プーチン大統領よりは血が通ってるような気がします。


実際、信長は美濃攻めにおいて何度も大敗を期していますが、必ずしも用兵と言う面ではある程度の損害で兵を引く決断をしています。


また、朝倉攻めに際しても金ケ崎の撤退も速やかに兵を引き、損害を極力抑える動きをしています。


既に多くの領地を手に入れていた信長は兵の損耗による防衛力の低下を気にしていたからでしょう。


兵力にも限界があったための合理的な判断と言えます。


そしてプーチン大統領ですが、これは彼個人と言うよりもロシアと言う国の戦争のやり方と言う話になります。


第二次世界大戦において、戦死者の数はドイツが290万人、日本が230万人、アメリカは26万人でした。


これに対して、当時のソビエトは1400万人もの戦死者を出しています。


ドイツはヒトラーが支配し、ソビエトはスターリンが支配していました。彼らはいわゆる独裁者です。


では日本に独裁者がいたかと言うとそうではなかったと思います。当時の東条英機は首相ではありましたが、独裁者ではなく彼の好きに国を動かしていた訳ではありません。


日本は軍部の作戦草案をまとめてから天皇の裁可を仰がなくてはいけませんでした。


天皇もまた作戦の立案を軍部に命じていたわけでもありません。


つまり、日本はドイツやソビエトと同様に帝国主義の国家ではありましたが独裁国家ではなかったと言うことです。


ただ、戦地では尊き天皇陛下の命令で戦っていると言う意識が強く働いていたために玉砕戦術や捕虜になるなら自害するなどと言う行動に走らせた結果、多くの犠牲を出したのだと思います。


ロシアの戦い方は敵を凌駕する兵力で圧倒すると言うのが伝統のようです。とにかく、誰でもいいから銃を持たせて戦場に投入したのです。


逸話として朝鮮戦争の際に中国共産党は義勇兵として北へ兵を送り出しますが、この時に中国に戦術指導したのはソビエトでした。これがいわゆる人海戦術です。しかし、中国共産党はあまりの犠牲の大きさから人海戦術は良策ではないと判断したと言います。


前記事でも書きましたが、ロシアの戦い方は前大戦と変わらぬ旧式な戦術を基本としているようです。


とにかく兵力を惜しみなく投入してゴリ押しするのです。


どれだけの兵士が傷つき命を落としても戦争指導部は無関心です。


ロシアの人口は1億4千万人です。男性が半数として戦闘可能な年齢層がその5割として3000万人は兵士にできると考えているなら恐ろしい限りです。


自国の兵士の命に無頓着な独裁者は当然の如く、他国の国民の命など虫並みと考えているのではないでしょうか。


プーチンと信長の違いは何か。


信長と言う男は兵農分離政策を進めて、国内の生産を安定させていました。他の大名のように農兵を使わなかった故、例え敗北して多くの兵士が死傷しても農作業に従事できず生産が低下することも少なかったのです。
ただし、職業軍人を集めるにはそれなりの軍費が必要でしたから商業育成や貿易にも力を注いでいた訳です。


しかし、ロシアの戦いは生産可能年齢の国民を戦地に際限なく送り出すが故、戦争が終わった後に労働者が激減して国内生産にダメージが残ることになります。
また、国の未来を担う若者も戦場に投入し失うことで国内産業の育成と言う面でその芽を摘んでいます。


前大戦では国民がいくら死んでも戦争に勝てば敵の捕虜を強制労働させることで埋め合わせできると考えていたのです。前大戦で抑留された日本人は60万人もいたのです。ドイツ人の捕虜もいたでしょうから、相当の労働者が働かされていたのではないでしょうか。ジュネーブ協定(捕虜に対する規定)で捕虜に労働させることを禁じてはいませんでしたが、衣食住を保証し健康に留意するとありますが、実際には極寒の地での過酷な労働環境下で6万人もの日本人が命を落としています。


個人的な意見ですが、信長とプーチンの類似点は冷徹さと言うだけで、政治家としての能力はかなり違っていたと私は思います。

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