ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

「表現の不自由展」フォーラムを見て

youtubeで名古屋の「あいちトリエンナーレ」の検証委員会によるフォーラムが開催された模様を写す動画があったので3時間弱の映像を延々と見た感想を書きます。


この問題は開催からたった3日で中止に追い込まれ、さらに文化庁からの補助金支給を却下されたと大騒ぎしている問題です。


「表現の不自由展」とは各地の展覧会で展示を拒否された作品を集めて展示しようとしたもので、芸術監督に津田大介氏である。


この津田大介はテレビのコメンテーターとしてよく見かけるが、実は朝日新聞論壇委員も兼任している。展覧会委員長は左派の県知事、反対してるのは右派の市長とバタバタです。


「表現の不自由展」実行委員会の面々を見ると・・・。


アライ=ヒロユキ 赤旗のお抱え論者
岡本友佳 週刊金曜日などの編集者
小倉利丸 天皇制反対運動に参加
永田浩三 NHKで“日本軍性奴隷制を裁く性国際戦犯法廷”という番組を作成


かなり左に寄った人達が多い様な気がしますって、全部左の人?。


そして出展作品の中に


キム・ソギョン キム・ウンソン 「慰安婦像」
大浦信行 「遠近を抱えて」(映像作品20分)
小泉明郎 「空気#1」
白川昌生 「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」
中垣克久 「時代の肖像-絶滅危惧種idiotJAPONICA円墳」
岡本光博 「落米のおそれあり」


などがある


「慰安婦像」は韓国の日本批判の先兵として世界に拡散されている作品で、芸術と言うよりは政治的なプロパガンダとして捉えている日本人も多い。慰安婦像に関しては県知事も最後まで展示を憂慮していたが、実行委員会の強硬な意見に押し切られたらしい。
詳しくは関連記事を参照願いたい。


以下のリンクは津田氏の弁明?


この中で津田氏は作品制作の段階で色々な意見を取り込むことで結果的に万民に受け入れられる作品を作らざるを得ない作家達の苦悩があるように書かれていますが、主張を展開したいのであれば私的な展覧会で展示しろという意見も尊重すべきだと思いました。


さて、検証委員会の様子を見ていて感じたのは「表現の不自由展」再開に向けての姿勢が前面に出ていたことです。


津田氏も語っていますが、今回の展示に対して多くの非難が寄せられるであろうと予想はしていたようです。つまり、各美術館が個々に非難を予見して展示を拒否した作品であるが故の結果だと思います。


前述の大浦氏の「遠近を越えて」と言う作品は鳥取の美術館で作品の版画について展示を保留され、美術館で買い上げられた作品は後に焼却処分されたことに対する抗議の意味を含めて今回自分の作品を燃やすと言う映像を作成したと後に説明しています。
また昭和天皇をモチーフにした版画を作品内で燃やすと言うことは自分の中での昭和史を整理する為と説明していますが、単純にこの映像のみを見た人には不快なものと映っても仕方が無い(特に皇室を敬愛する日本人には)と言えるでしょう。


問題となった大浦氏の「遠近を越えて」の映像ですが、昭和天皇の顔のアップとヌードが描かれた版画を地面に置いてガスバーナーで燃やしています。背後に当時のラジオ放送で戦地で亡くなった英霊を称える内容(当時の音声)が流れ、映像は特攻隊の出撃前の記念撮影写真と騎乗した昭和天皇のコラージュ作品を燃やす映像に変わります。続いて女性(現代の)が現れます。海岸で波打ち際に膝まで浸かった女性の映像のバックに従軍看護婦としてビルマ方面に向かう事と母親に対するこれまでの謝意が書かれた手紙の朗読が流れます。つづいて、菊の紋の幕が張られた建物を背景にチマチョゴリ(女性用韓服)の切り絵が並ぶ映像と共に韓国の民謡のような音楽が流れます。そして、最後に再び昭和天皇の肖像写真が入った版画を燃やして燃えカスを足で踏みつけるところで終わります。


映像を見た後にフォーラムの司会者はとても深い作品と解説していますが、私にはとてもそのようには思えませんでした。昭和天皇は最終的に元帥として戦争を承認した訳ですが、主導した訳ではありませんし、兵士や従軍看護婦なども当時はお国のために働くと言う覚悟(自由意志に基づくかは別にして)を元に戦地で働いたものです。
この作品については私怨の為に自作品を映像の中で燃やしたりしなければここまで見る者を不快にさせはしなかったと思いました。


ところで私個人の意見と前置きして書きますが、各美術館の拒否理由が「政治的なメッセージ性が強い」「見る人が不快に感じる」などと言われていますが、今回の展示作品が何故に左寄りの物が多いのかと言う事です。
おそらくこれまで展示を拒否された作品の中には右寄りな物もあるはずです。公的な美術館で公的な補助を得て開催するのであれば左右関係なく過去に出展拒否された作品を展示するべきではないのかと言う事です。


「表現の不自由展」実行委員会のメンバーが左寄りの方々で構成されているのは前述しましたが、政治的に反日的なメッセージが封殺されたと批判を展開している日々の活動の延長線上で世に出られなかった日本批判をテーマにした作品をなんとか人の目に晒したいと言う野望が隠されていると深読みしたくなるわけです。


「表現の不自由展」は再開に向けて努力を続けていると言う事ですが、再開するのであれば作品の発するメッセージについて分かりやすく制作者の意図に解説する必要があると思います。


フォーラムの中で制作者の一人が自作品の解説をしていましたが、彼の父親が天皇が嫌いで子供の頃からそう言う話を聞かされて育ったので自分も皇室を否定するようになったと述べています。故に作品は殆どが皇室を否定的なモチーフとして作成しているとのことです。皇室に対する考え方は個人によって異なる訳で熱烈に尊敬する人も居れば拒絶する方も居ます。彼の作品は皇居内で皇室関連の方々が整列して撮影した写真を加工して、ボンヤリとした影の様なものにしています。皇室の存在は過去の亡霊であると言うような意味合いがあるとか・・・。


出品者達はとにかく展示を再開して多くの方に見て貰い、そこで色々な意見を交わすべきだと主張しています。結果的に否定的な意見や誹謗は甘んじて受け止めると言うことですが、これに対してフォーラムに参加していた再開否定の方々は烈火のごとく怒りをぶちまけていました。賛否両論とは言いますが、構図としては左寄りの作品に右よりな人が憤慨していると言うものでした。


作品を作るのは自由ですし、そこに何を込めるかも自由です。反戦や反原発など色々なメッセージを込めてもなんら構わないと思います。ただし、単に作品が現在の日本で注目を集めるのにてっ取り早い題材だと安易に手を出してしまうのは危険だと思います。また、今回の作品の中で特に韓国の主張を作品として扱うものは現在の日本に於いては非常に反発も多いことでしょう。(何故に中国の人権問題など扱ったものがないのか)


私は展示を拒否された作品を集めて展示すると言う趣旨について悪いことではないと思いますが、芸術的な観点から拒否されたと言うものかと思っていましたが、実際は左翼的思想作品が発表の場を得たと言う風に捉えました。
再開されたとして、この度の騒動である種のレッテルを貼られた訳で、多くの方に見て貰いたいとは言いつつ、参観者は偏った方々に限定される可能性があるのではないでしょうか。公立美術館としては展示内容に偏りがあってはいけないとする観点からすると問題の多い展覧会と言わざるを得ません。


展示自体もこのフォーラムも偏った方々の主催であると言う点がダメなんでしょうね。自分達でマイノリティーと言ってますが、今の日本では厳しいでしょうねぇ。もっと公開された場で両方の意見を持った方々が参加したフォーラムであるべきだったと思いました。

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