ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

またどこかへ行きたくなったが・・・しかし

今日は珍しく所用で都内に行きました。


大田区の池上まで2時間のドライブ。


もちろんSLKで。


天気も良かったので久しぶりに屋根を開けて走りました。


帰りに横浜の別宅に寄って、愛用のピーラー(ジャガイモの芽を取るのが付いてるやつ)を探しました。しばらく台所を探してやっと見つけました。


久しぶりに別宅に行きましたが、なんか人がいない家はひっそりとして家自体も寂しそうでした。ごめんなあ~って行って家を出ました。


近いうち大掃除してハウスクリーニングしてあげるからねぇ。


帰りは東名高速をのんびりと流して帰ってきました。


それにしても、大体4時間強走っていたんですが、この車は疲れないんですよ。


先日も四国の高松まで殆ど休憩なしで走りきりましたが、以前ランエボで行った時は腰が痛くて途中で止まって何度も背伸びしたもんですが、この車は腰に来ません。


座り心地もさることながらシートが体にフィットしてずれないんですね。


ディーラーの営業さんが国産車とは全然違いますって言ってた意味がなんとなく分かったような気がします。


とにかく、いつまでも乗っていたいと思わせる車です。


今日も海老名で降りずに箱根まで行きたい衝動にかられましたが、ぐっとこらえて帰宅しました。


なぜなら、脇腹がシクシクと痛みが出てきたから。以前、尿管結石になった時に前触れがこんな感じだったので心配になって帰りました。


尿管結石の経験談をちょっと書いてみよっかなあ。


初日。


尿意があるのでトイレにいくけれど、これが出ない。


膀胱はパンパンなのが分かる。


何度もトイレに行くがチョロチョロしか出ない。


なんだろう。なんか病気なんだろうなと思ってネットで近くの泌尿器科を探す。


電話をするとすぐに来なさいと言われて出かける。


小さなクリニックで私以外に患者はいない。


前立腺による閉尿かも知れないから検査をすると言われました。


診察台の上に乗ったらうつ伏せになってパンツを降ろせと言われました。


おへっ。


医師が肛門に指を突っ込んでクネクネ探っています。


なんか、気持ち悪い。


「う~ん。特に前立腺が腫れている様子はないね」


薬出すから様子を見ようと言うことになりました。


その晩は膀胱がパンパンで眠れず、苦しい夜を過ごしました。


翌日、うつらうつらして朝を迎えました。


いくら力んでも相変わらずチョロチョロしか出ない尿。


昼頃までパソコンでニュースなど読んでいると、背中に鈍い痛みが・・・。


そのうち脇腹にも痛みが伝わってきました。


取りあえず手元にあったロキソニンを飲む。


しばらくして。


ん?


なんだこの痛みはと思っていると、いきなり激痛が襲って来ました。


お腹を絞られるような痛みが波打つように襲ってきます。


あまりの痛みに動くこともままなりません。


そうだ、昨日の泌尿器科の医者に電話しよう。


痛みに耐えながら電話をします。


症状を伝えると


「ああ。そうか、結石だったかあ」
「どうしたらいいんですか?」
「痛み止めとか持ってない?」
「ロキソニンならあります」
「じゃあそれを飲んで痛みが引くまでおとなしくしてて」
「既にロキソニンは飲んでます」
「効かない?」
「効きません」
「病院に来たらもっと強いの出してあげるんだけど」


とても病院に行ける状態では無い。


この藪医者が~っ。予想がつくだろうが。


痛みにプラスして吐き気までが襲ってきました。


もう無理。


痛みを堪えて這いながらなんとか長女の部屋へ。


仕事中の長女に


「アカン。死にそうだ救急車を呼んでくれ」


と訴える私。


「えっ。えっ。なになに。どうしたの」


と私の様子を見てパニクる長女。


「とにかく救急車を呼んでくれ・・・クッ」


長女は携帯で119番をしてくれました。


青息吐息の私は10分程掛けて階段を降りてなんとか玄関に辿り着き、そこでうずくまって動けなくなりました。額は脂汗でべっとり。意識も朦朧としています。


まもなく救急車のサイレンが聞こえてきました。


4人がかりでシート上の物に私を座らせて玄関前の階段を降ります。そしてストレッチャーに寝かされ、救急車の中へ。


中では長女が横に座って心配そうにしています。


痛みはマックス、歯の根も合わず寒気と吐き気が襲ってきます。


前席では病院と連絡を取り合っています。


なかなか受け入れ先が決まらない様子。


「結石みたいです。はい・・・。ありがとうございます」


20分以上かかってようやく搬送先が決まったようです。


搬送先は近くの関東労災病院でした。


それにしても、どこをどう走っているのかなかなか着きません。


普通に走ったって20分もあれば着くのに、なかなか着きません。


やっと病院に到着。


ストレッチャーで運ばれて診察台に移されます。


「痛いですよねぇ」


と医師。


返事をする気にもなれない私。


痛みと寒気でガタガタと震えています。波状攻撃の痛みはこれまで体験したことのない物でした。私、喉のリンパが腫れて気道が塞がりかけたことがあり、病院で緊急手術となり無麻酔で切開した経験がありますが、外科的な痛みとはまた違った痛みでした。


「尿管結石は三大激痛の一つと言われてますからねぇ」


と軽く言われる。


とにかく痛み止めを打つなりなんとかしてくれ~っ。心の叫びは医師には届かない。


「まずはCT撮りましょうか」


またストレッチャーで運ばれる私。


CTの撮影時、仰向けになれと言われるが痛くて仰向けになれない。


「頑張って仰向けになってね。尿管結石で死んだ人はいないから大丈夫よ」


と容赦ない看護婦さん。


鬼かおまえら。心の中で毒づく私。


撮影後また元の部屋に戻されて放置される。


一体いつまで我慢すればいいんだよ。そろそろ限界なんですが。


しばらくして医師が戻ってくる。


「尿管結石ですね。そのうち膀胱に落ちれば痛みも治まります。そんなに大きくないので自然に出るのを待ちましょう」


大きければ超音波破砕か開腹して取り除くしかないけどその必要はないと説明される。


「じゃあ、座薬を入れますからね」


頼むから、さっさとしてくれ~っ。


10分後・・・。


あ~ら不思議。痛みが徐々に引いていきます。


30分後、帰っていいと言われる。


ボルタレン座薬の処方箋を貰って、近くの薬局で薬を出して貰う。


その後娘と二人でタクシーで帰宅。


社内で長女が女房に電話をしている。


「なんだって?」


「結石じゃ死なないから普通に帰るって」


「ああ、そう」


虚脱感の塊となった私は帰宅して横になる。薬が切れて痛みが来るとまた座薬を入れるの繰り返し。


何度か繰り返すうちに痛みは消えた。


で・・・・。


今、なんとなくあの時と同じ感覚に襲われている。このところ微熱がずっと続いていたのと関係があるのだろうか。だるさは相変わらず続いている。


またあの激痛は勘弁してほしい。


ただし、今回は大丈夫。


冷蔵庫には大量のボルタレン座薬がストックしてあるから。(笑)


実は、旅行に行くときや遠出をするときは必ずバッグの中にこの座薬を忍ばせているのである。


話を聞くと、周りにも結構結石経験者がいる。


女性の従兄弟が一度なったらしい。女性の結石は珍しいのだそうだ。彼女が言うにはお産の痛みによく似ているらしい。


そんな訳で三度もお産を経験している女房の偉さを痛感した私であった。


母は強し・・・。










丹沢でマス釣りを楽しむ

下の娘が文化祭の代休で月火と連休だったので渓流にマス釣りでも行くかと誘ったら「暇だから行く」と言うので出かけることにした。


「簡単に釣れる釣り堀みたいのと、自然の渓流で釣るのとどっちがいい?」
「渓流」
と素っ気ない返事。


と言うことで道志川水系の渓流釣り場に行くことにした。


最初に寄った施設「バカンス村」は設備もそこそこ揃っていて、夏になると川遊びやカヤックなども出来て、マス釣りも楽しめると看板に書いてあった。


受付に入るも誰もいない。


「すぐに戻ります」と書き置きがあるだけ。


「・・・」


待つこと15分。誰も戻ってこない。他に客もいない。店の中には色々な商品も置いてあると言うのに物騒このうえない。


結局、他に行こうと言うことで先にすすむ。


走ること20分。「渓流園」と言う看板を発見する。マス釣り、キャンプと色々出来るらしい。


脇道を下ると開けた駐車場と仮設ハウスの様な小屋に到着。駐車場には10台近い車が止まっている。


事務所らしい仮設ハウスに入ると5人の年配の方達(一人は女性)がストーブを囲んでいる。


私「すいません。マス釣りとか出来ますか?」
正面に座っていた白髪の親父さんが答える。
主人「ああ。出来るよ」
私「じゃあ、お願いしたいんですが」
主人「川を見てきな」
私「???」
主人「川を見てから決めな。俺はそう言うやりかたなんだ」
言ってる意味が分からない。
女性「川を見てこいって言ったって分からないわよねぇ」
主人「川を見なけりゃわかんないだろうよ」
女性「一緒に行ってやんなさいよ」
どうやら近所の老人達が茶会を開いていたらしい。
私「商売する気あります?」
主人「あるよ。決まってんだろう」
少しカチンと来たようだ。
すると見かねた別の老人が立ち上がる。
老人「私が連れてってあげるから見に行きましょう」
おお。まともな人が居た。


老人の後ろに付いて坂を下ると道志の清流が見えてきた。水が綺麗。

川に岩を並べて区画が作ってある。


川を見ろと言ったのは、どの区画で釣るか決めろと言うことらしい。
あの説明じゃ分かりません。川を実際に見て、どこで釣るか決めてねと言えばいいだけなのに。始めて来た客には不親切極まりない話だ。


老人「この前の台風以降水量が増えて流れも早いから釣りづらいかも知れないよ」
私「とても浮き釣りが出来る感じじゃないですよねぇ」
いくつかの区画を見て回ると比較的釣り易そうなものがあったので、取りあえず場所をそこに決める。


渓流釣りの場合、浮き釣りより脈釣りが主流だ。少し重いオモリを付けて流れの中にエサを止まらせて釣る。それでも、少し淀みがあるのでそこに浮きを浮かべれば釣れるかもしれないと思ったのだ。娘が釣るのにはハードルが高いかも知れない。


上に上がって手続きをしようとしたら主人の姿が無い。
老人が貸し竿を探し出し、自分の仕掛けがあるからと車から出してきて造り始めた。
女性が大きな声で主人の名を呼ぶが返事が無い。


しばらくするとバケツを持った主人が帰ってくる。
主人「やるんかぁ」
私「はい。お願いします」


駐車場代、貸し竿代、仕掛け代、エサ代、そしてマスの放流10匹で計4100円だったが、100円はまけてくれた。


後で魚を持って行くから先に行ってやってろと言われた。
釣り残しのマスが釣れるかも知れないからやってろと言う意味らしい。


車の中でスマホをいじっていた娘を連れて沢に降りる。


取りあえずエサのイクラを付けて娘に渡す。

流れに入れると浮きは勢いよく流れていってしまう。手前の流れのない岩の下に入れなさいとアドバイスをする。


しばらくして、主人がバケツを持って現れた。上から魚をいれるのだと言う。


10分経過。


全く釣れる気配が無い。いそうな場所に仕掛けを入れるには浮き釣りでは無理そうだ。


そのうち、針が岩に引っかかってしまいハリス切れとなる。


受付に竿を持って行って直して貰う。主人、面倒臭そうにやる。どうやら素人が来る場所じゃなさそうだ。


30分・・・1時間・・・釣れない。


諦めて帰ろうと話し合ってるところに先ほどの老人が釣り装束で現れる。


老人「どうですか」
私「やっぱり駄目ですね。浮き釣りじゃあ難しいかも知れません」
老人「あんたは釣りするのかい?」
私「海釣りなら50年近く・・・」
老人「じゃあ、全くの素人って訳じゃないね」
私「昔は川釣りもしたんですけどね。もう30年以上やってませんから」
老人「なんにも収穫がないってのもなんだから、私の道具で少しやってごらんよ」
と自分の竿を出すと支度を始めた。
鉄砲釣りと言うやり方だ。短い仕掛けで竿を伸ばしてポイントに入れる。母方の蔵王山系でのイワナ釣りはこれでやる。


まずはお手本を見せて貰おうと言うと、一投目でマスを釣り上げた。

さすが。


ここから老人の渓流釣り教室の始まり。

手ほどきを受けた娘が挑戦する。何度目かの流しで魚を掛けるが惜しくもバラしてしまう。


30分程やるが結局は老人の釣り上げた1匹だけが釣果となる。


ご老人に色々とありがとうございましたと礼を言って渓流園を後にする。


主人は「また来てくれよな」と帰り際に名刺をくれたが、どうだろう、多分来ないかな。


さて、今夜のおかずはマスの塩焼きと宣言をして家を出たからにはなんとか魚を持ち帰りたい。時計を見るとまだ14時前である。


しかたない、釣り堀に行くか。


今度はお馴染みの早戸川リバースポットに向かう。


リバスポは結構な規模の釣り施設だ。エサ釣りからルアー、フライ釣りと区画を分けて釣り場がある。渓流園とは雲泥の差だ。ここは、父がまだ事業をやっていたころ従業員さん達を連れて花見を兼ねて毎年バーベキューに来ていた場所だ。
貸し切り区画で大騒ぎして釣りを楽しんだ懐かしい場所である。


もちろん、素人向けの釣り堀もある。

ここは買い取り制。釣り上げた魚を1匹350円で買い取らねばならない。


先ほどと違ってここは入れ食い。


15分ほどであっという間に予定の9匹を釣り上げた娘。


さっきのと合わせて10匹だからここで打ち止めを宣言。


そこで私は娘にマスなんてエサなんか付けなくても釣れるんだよと言うとこれが信じない。


と言うことで実演して見せることに。


カラ針で仕掛けを投入すると数秒で浮きが沈む。


「ほらな」


とマスを釣り上げる私。


「うそーっ」


感動した様子の娘。


「試しに私もやりたい」


と言うのでやらせると、すぐに釣り上げてしまった。


唖然とする娘。


まあ、釣り堀だからってのもあるんですが・・・。


係の人に終了を告げると数を数え始める。


「捌いて塩を振ったものをお渡しするので受付でお待ちください」


おお、そんなサービスを始めたのか。以前来たときはそんなサービスはなかった。


実は、以前娘が7才の時にここに一度来ているのだ。その時、人の良さそうな男性が娘に魚をくれると言うので貰うことにしたのだが、なんと50センチ近い大物を4匹も渡された。自分達が10匹釣って、さらに大物を4匹と後が大変だった。
もしかすると、その男性も釣りすぎて困っていたのかも知れない。
一般釣り場は少し高い入漁料を払えば釣り放題なのだ。ただし、釣り堀のようには釣れない。腕が必要なのである。


紅葉の始まった渓流での一日は非常に楽しかった。娘も満足そうだったので良かった。


帰宅後、半分を近くに住む叔父にプレゼント。


塩焼き美味しかったぁ。


川釣りを再開してみたい気もするが体力に自信がないので今一歩踏み出せない私でありました。




箱根と言う場所

熱も下がって体調は回復しました。ただ、腸の調子は未だに悪く、整腸剤を飲み続けています。今日は久しぶりにSLKで箱根に一人ドライブに出かけました。


18才で自動車の運転免許を取得して、以来ドライブの定番コースと言えば箱根を走ることだった。
西湘バイパスを経て箱根湯本、宮ノ下から仙石原をかすめて乙女峠を越えて東名高速で帰ると言うパターンだ。


これは今も変わらず、月に1~2度は走るコース。


40年間、月に2度として年に24回、40年間として960回・・・。


大学生の頃は毎週の様に出かけていたから、これよりも多いかも知れない。


私は車に乗ると何故か西を目指してしまう。東を目指すと東京都内を通らなくてはならず、私はあの都会の景色があまり好きではないからだ。


夜景として見る分にはキラキラと綺麗でいいが、あの車の多さと渋滞が嫌だ。


最近はアクアラインが出来たお陰で千葉方面にも出かけるようになったが、それ以前は千葉にも殆ど行ったことがなかった。


夜の足柄SA


さて、箱根と言えば、大学時代にお気に入りの女性がいた。


友人と長野にスキーに行くときに一緒に行った女性だ。仮にN子さんとしよう。


N子さんは友人の小学校からの付き合いで、昔から仲良しだったらしい。とは言え、友人には別に彼女がいてN子さんとは友人以上の関係では無かったようだ。


スキーの三日間で私はN子さんの愛らしさが気に入ってしまった。


小柄で華奢な体格、丸顔でなんとなく鳴子こけしのような柔和な表情をしていた。勝手な妄想だがこれは清楚な女性だと思い込んでいた。


友人に聞くと、相当良いところのお嬢様だと言う。


確かに、何度かN子さんの家にお邪魔したことがあるが、建物自体は新しくはないがお洒落な造りで、リビングには欧風の家具があり、挨拶したお母さんもとても上品な方だった。


私は月に1~2度だが愛車のシルビアを駆って箱根に通うようになった。


彼女は東京のお嬢様女子大に通っていて、休日は近くの彫刻の森美術のチケット売り場のバイトをしていた。


私が行くと彼女は裏口でこっそりとチケットをくれた。実は、友人は同じ彫刻の森美術館の駐車場でバイトをしていたのでこっちも無料で止めさせてもらっていた。


バイトが終わるの待って、N子さんをシルビアに乗せてドライブを兼ねて食事に行くと言うパターンが何度か続いた。


一度、乙女峠にある豪華なステーキハウス(今はない)で食事をしようと言うと、その日はドレスアップしたN子さんが目の前に現れた。その白いワンピース姿は妙に大人びて見えた。


おおっ。いつもと違うエレガントな姿。いいねぇ、なんて思いながら車を走らせた。


松明の明かりが周囲を照らし、テーブルの上にはキャンドルが・・・。雰囲気の良いレストランで学生にしてはちょっといい食事をした。(もちろん、私が食事代を負担した)


食後、山中湖の方までのんびりドライブをして御殿場市内に戻ってきた時のことである。


当時、御殿場インターの周辺はモーテル、いわゆるラブホが沢山建っていた。


否応なしにその横を通らないと帰れないのだが、N子さんがそれらを見ながら言った。


「こう言うところでするのってなんか虚しいと思わない?」


唐突にこの娘は何を言い出すんだ。(汗)


「・・・」


私は沈黙を余儀なくされた。


これは貴方とはこう言うところには入らないわよと釘を刺しているのか、それともちゃんとしたホテルならいいわよと言っているのか、なんとも意味深な発言だった。


私は無関心を装いつつ運転したいたのに、それを知ってか知らずか話題に持ち出すと言うのはどう言う魂胆だったのか、経験の乏しい私には反応することが出来なかった。


たぶん、今なら「じゃあ、箱根プリンスでも行きますか?」と返せるものを。(笑)


その後、私はなんとなく彼女と連絡を取らなくなってしまい、関係は自然消滅した。


N子さんのご家族は私を何度も家に招き入れ、お父さんとも車の話で盛り上がったこともある。もしかすると、あのまま続いていればどうなっていたかは分からない。


あの彼女の言葉の真意は未だに謎のままである。


清楚な女性と思い込んでいたのに、その口から「する」と言う言葉が出たことに動揺したのかも知れない。


当時、二十歳の生真面目な青年であった私は何を感じとったのであろうか。当時の私は愛車の助手席に女の子を乗せているだけで満足だったのだ。


そう言えば、別の女性からラブホに行ったことがないから連れて行けと言われたことがある。もちろん、断ったが行ったら最後だったかも知れない。後にその女性から結婚を迫られたが、既成事実を作らなくて良かったと胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。


となると、N子さんはやはり行きたかったのだろうか・・・。


また、箱根には別のエピソードがある。


最初に就職した金融系の会社で私は電算室で仕事をしていた。


下にはパンチャーと呼ばれる女の子達がいた。


ある日、見たことがない若い女の子が伝票の修正を依頼しに部屋に入ってきた。


どうやら、今日から入社した中途採用の子だったらしい。名前は仮にH子さんとする。


H子さんは私より4つ下で、青森から叔母を頼って上京してきたと言う。


何度か部屋を訪れるうちに、彼女は私に懐いてしまった。昼に食事に行こうと階段を下りると下でいつも私を待っているのだ。お陰で社内では私がH子さんと付き合っていると言う噂が立ち始めていた。


背丈は私とあまり変わらなかった。割とグラマーな体型で、カーリーヘアーを茶色に染めていた。なんとなく松田聖子風に見えたのは当時の流行だったからかも知れない。今になって改めて写真を見ると、実に惜しいことをしたと思う。(笑)


口数の少ないおとなしい娘だった。


当時、私は茶髪の女性に余り好感を持っていなかった。失礼な話だが、ヤンキーは苦手だったのだ。彼女がヤンキーだったのか、それとも姿を真似ていただけなのかは分からない。


食事中、東京は初めてで、まだ何処にも行ってないのでどこかに連れて行って欲しいとせがまれた。


と言うことで、次の日曜に箱根に連れて行くことになった。


当時の写真がアルバムの中に残っているが、彼女の服装は紫色の上下でアラビアの踊り子みたいな雰囲気の服だった。


車で箱根を一周して、レストランで食事をご馳走して、夜の九時頃にH子さんの住むアパートの近くで車を止めた。


「着いたよ。お疲れ様」


私はH子さんが車を降りるのを待っていたが、一向に降りようとはせずモジモジしている。


「どうしたの?」


私が聞くと、H子さんはさらにモジモジとするばかりで答えない。


「明日は仕事なんだから早く寝た方がいいよ」


そう言うと、少し膨れたような表情で車のドアを開けた。


「今日はありがとございました」


と余所余所しい挨拶をしてアパートの階段を上っていった。


それから一月後、私はシステム開発の会社に転職した。


彼女には連絡先は何も教えずに。


後に最初の会社の先輩と食事をする機会があって、H子さんの話が出た。


「あの頃、おまえとH子が付き合ってるってみんなが言ってたけど、本当のところはどうだったんだ」


と聞かれ、そう言う関係はなく、一度だけ出かけた箱根ドライブの話をした。


「そりゃあ、おまえ、据え膳食わぬは男の恥ってやつだぜ」


と先輩は言う。


なるほど、そう言うことだったのかと始めて気づいた私であった。


ただ、H子さんが私の好みだったか言えば決してそうではなかったのだ。


好みでもない女性に手を出して、責任問題にでも発展したら大変な話ではないか。


かく言う先輩は会社の女の子の据え膳を食ったらしく、結局その娘と結婚していた。


H子さんは私が転職した一月後に会社を辞めたそうだ。


先輩はてっきり私の後を追ったと思っていたらしい。


たぶん、彼女は東京で男を捉まえて早く家庭に入りたかったんじゃないかなと先輩は言っていた。


今から思うと、見た目が清楚なN子さん、見た目は派手なH子さん、実は内面は逆だったのかも知れない。


箱根に行く度、横に乗せた女性達の顔が頭を過ぎる。もちろん、その最後に乗せた女性が今の女房である。


あの頃聞いていた曲を流しながら、箱根の山道を走ること、それは私にとって至福の時間なのである。



青春と車窓の景色は流れ去るものなり・・・か


おそまつ

ココロボ

相変わらず体温は37度をキープしています。なんとなくだるくてふらつく毎日です。
動けることは動けますが、少し動くと目眩がしたり息切れがします。


原因不明。


特に痛いところはないんですが、背中が重苦しいくらいでしょうか。


月末に人間ドックを予約しています。何か問題が発見されるかも知れませんね。


さて、我が家ではネイトと言う米国メーカーのロボット掃除機を使っているのですが、どうも最近調子が悪い言うことで新しいのを買おうかと言う話になりました。


で、私が色々と調べてシャープのココロボと言うのが良さそうだと思い、早速購入しました。ルンバに比べると少し小ぶりです。

特徴は掃除しながらプラズマクラスターでマイナスイオンを放出することと喋ること。


段差に出会うと「おっとと」、何かにぶつかると「いてっ」とか一人で喋ってます。


バッテリーが無くなると「助けて~」「お腹が空いたよ~っ」とか言います。


最初、ステーションに戻らなくて女房と二人でマニュアルを読んだりネットで調べたりしたんですが、はっきりした原因が分からなくて、二人でココロボの横で話していると、女房が何かを発見して話が進展しそうな雰囲気になると、突然ココロボが「へーっ」と喋ったので二人は大笑い。


どうやら裏に蓋があって、それがちゃんと閉まっていなかったようで、それを絞めたらステーションに戻るようになりました。


ネイトは異変があるとピッピッと言う音でしらせますが、何が起きているか分かりません。でも、ココロボは挟まったとか移動して欲しいとか言うので分かりやすいですね。


ココロボは音声で命令も出来るようで「綺麗にして」と言うと「オーケー」と言って掃除を始めます。「今何時」と聞くと時間も教えてくれます。wifiに接続すると色々出来るそうです。


ネイトやルンバに比べて騒音は低いですね。バッテリー容量も大きいので最大で120分稼働できるようです。掃除の能力自体はそれほど変わりませんが、ゴミが多いと判断すると吸引力をアップさせる分、ココロボに軍配が上がるかも知れません。


ところが、ネイトはバッテリーが駄目だっただけで、新しいバッテリーにしたら復活したらしいです。


どうするんでしょう。二台を時間差で掃除させるのかな。




英会話ロボット

湘南平に行った辺りから体のだるさが増したような気がしたので体温を測ってみたところ37度を超えていた。


通常の体温が36度に届かない私としては結構高い方だ。


10/29に医者で抗生剤や抗ヒスタミン剤をもらって律儀に飲み続けているが、何か関係しているのか体温が一向に下がらない。


今日の体温は37度1分。


特に風邪の症状はないが、だるさと腹の具合がずっと悪い。


それに背中が重苦しい。


以前、背中が重苦しいなと思っていたら尿管結石が発症したので警戒している。


寝たり起きたりと怠惰な日々を過ごしている。


リタイアしていて良かったと思う。


熱がもう2~3日下がらないようであればもう一度病院に行こうと思う。


さて、妙なものを手に入れた。


CASIOから発売されているLesson Podと言う英会話レッスン用のおもちゃである。

まだ本格的に使ってはいないが、しばらく遊んでみようと思う。


今のところ海外に行く予定はないんだが、私の住んでる地域は米軍基地があるのでやたらと外国人(たぶん殆どは米国人)が多い。近くのドンキは外人だらけ。


買い物に行ったスーパーなどで話しかけられたことが数度ある。いきなり話しかけられたら聞き取れない。パードン?の連続(笑)だが、なんとか要件には答えられもののスマートさに欠ける対応に我ながら情けないと思う。


そんな訳で、英会話を使う機会は殆どないのだろうが、暇つぶしと実益を兼ねてこの英会話ロボットと遊んでみることにした。


クイズとかがあるのでやってみたら、いきなり英語で江戸幕府が開かれたのは西暦何年かと聞かれた。ずいぶんと高度な問題をだすではないか。ヒヤリング能力にも問題があるが、江戸幕府が開かれた年など一般知識なのか疑問に感じてしまった。


ええと、関ヶ原が1600年だからその後だから・・・なんて考えていると答えを言われてしまった。正解は1603年。


はええよ。


と言う訳で、発話速度を一段遅くしてみた。ネイティブな発話速度で話されたら半分くらいしか聞き取れない。プリーズ モア スローリーだ。


海外旅行に行くときは英会話の出来る女房が一緒なので、会話は殆ど女房任せなのだが、買い物くらいは一人で行きなさいと言われる。


かつて仕事で単身シンガポールやマレーシアなどに出かけていたので簡単な会話くらいは出来なくはないが、幼児並みのコミュニケーション能力に違いない。


それにしても、この姿はQ太郎の弟、O次郎に似てはいないだろうか。