ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

引き渡しを受けて

新居の引き渡しを受けて一週間が経ちました。


引っ越しが来年の三月と言うことと、九月にお家の参観日で公開するため余計な家具類はまだ未購入です。


今回、ケーブルテレビの接続確認と言うことで32型のテレビだけ購入して置いてありますが、その他はまだです。


ただ、庭いじりとかで汗をかいた服をその場で洗えるよう洗濯機とちょっとした飲み物を冷やせる小型の冷蔵庫、そして女房がほしがっているirobotの雑巾掛けロボットのみ先に購入する予定です。


そう言えば、座布団を4つ購入して和室に積んでありました。
これを枕に少し昼寝をしてしまいましたが、なかなか良かったです。目覚めると目の前にいつもと違う庭なんかが見えて、新鮮でした。


家具は買っていませんが、階段の滑り防止用シート(カーペットの小さいやつ)を貼ったり、お泊まりように寝具6点セットを3組購入してあります。


あと・・・電気屋さんで投げ売りしていたティファールの湯沸かしポットも買っちゃいました。と言いつつ、お湯を沸かしてもコーヒーも、それを飲むカップもないので次回は持って行きます。


あとは・・・電子レンジくらいは欲しいですね。


発電ですが、本日は晴天だったせいか、ピーク時間では4Kwほどの発電をしていましたね。10時からの五時間の平均は3Kwを少し切る感じでしょうか。
我が家では電気代の足しになれば良いな程度なので、売電で利益を出そうなどと言うことは思っていません。年間の電気+ガス代の50万が半分以下になれば上出来なのかも知れません。


それからガーデンテーブルセットを注文しました。来週到着予定です。
アルミ鋳造製でテーブルは14キロ、椅子が6キロあるので風で飛ばないだろうと思って選択しました。

もちろん、台風の時には倉庫に待避しますけど。

全館空調と太陽光

本日、ケーブルテレビのJ:COMとインターネット回線のNuro光の工事立ち会いのために新居に行ってました。


暇なので書斎でPCを立ち上げてキャンディークラッシュで遊んでました。



当初の予定ではJ:COMは室内工事と室外工事の分割工事で本日中には繋がらず、ネット環境のNuroの方が一回で終わると聞いていたんですが、結果は逆で、テレビは今日で終わって見られるようになりましたが、ネットは7/13まで繋がらないと言う結果になりました。せっかく確認用にPC持ってきたのに・・・。


それから、カーポートの業者さんが来て測量して行きました。予定より横幅のあるもので見積もりを作るそうです。そこそこの予算は組んであるので広い方にしたいと思います。


さて、本題。


現在、我が家で動いているのは全館空調と保温中のエコキュート、浴室の二四時間換気だけです。


以下のHEMSの映像は空調が二四時間換気の送風のみの状態の様子です。
曇天で大して発電してませんね。

次は少し日が出た時です。発電量が増えましたね。
薄日が差した時は最大で2Kwまで発電量が上がってました。


暑くなってきたので外気温26度で室内24度設定の冷房運転に切り替えました。
全室共に冷風が出てきて快適になりました。トイレも納戸も涼しい。(笑)
その時のHEMS画面です。

あれれ。送風より電気を食ってないですね。気温が設定値になったので回ってないんでしょうか。保温性の高い家なので効果は高そうです。意外だ・・・。



六月はエコキュートの給湯試験を数回、24時間換気の連続稼働程度の電力消費でした。
一ヶ月間の実績を見ましたが、概算値で売電収入は1万2千円と表示されていました。


実際に生活が始まれば、冷蔵庫や水槽や池の循環ポンプ、作業用PCなどが稼働するので売電は出来なくなるとは思います。
それでも、電気代とガス代で月額三万~六万と言う金額がかなり減額できそうな予感がします。


それから防音ですが。
今日は一日中、早期警戒機が飛んでました。プロペラ機とジェット機が交互に飛んでました。空母が出航しているらしくて、戦闘機はいませんでした。座間キャンプのヘリの音は室内では全く聞こえません。ただ、一般空港と違って、ひっきりなしに飛ぶ訳では無くて平均して一時間に1~2機ですので、あんまり気になりません。


一般の部屋は小さく音楽を流していましたが、早期警戒機が上空を飛行した時は音楽が聞こえなくなります。たぶん、戦闘機が飛べばもっとうるさいでしょう。
ただ、娘の書斎ですが、防音ドアを締めると無音でした。さすがですね。
まあ、風向きに寄るんですが、真上を飛んでるからうるさいかと言うと必ずしもそうではありません。


いずれにしても土日と祭日は飛ばないので休日はとても静かです。
何も飛ばなければ締め切った室内はシーンとして気持ち悪かったです。


全館空調のエネルギー消費関連の情報は今後も掲載していきます。



実家のワンコ達

今日は新居にフルハイビジョンのテレビを買って運びました。ケーブルテレビの接続確認用にと事前に設置するためです。


さて、ワンコの話題。

どちらの実家でも犬を飼っています。

猫派ではないようです。


母方の実家はコーギーです。

王子君と言います。

ちょっと太めですが、大人しくてよい子です。

毎年のように訪れるのでちゃんと覚えて居て歓迎してくれました。


父方の実家はチワワの大五郎君です。

大五郎君はメチャクチャ元気なワンコです。

特にナメナメ攻撃が凄い。

ベロベロベロ~って感じで、顔が溶けるんじゃないかと思うくらい舐められます。


新居の入り口に開閉式のフェンスでも付ければ敷地内に放し飼いで飼えるんですが、施主の娘がこれ以上は生き物を増やすことに反対しているので残念ながら無理そうです。


そうそう。

セコムのカメラ映像を確認したところ、玄関前を横切る複数の猫達に混じってタヌキが一匹写ってました。

やっぱりタヌキがおる~っ。


家庭菜園の防御方法を検討しないといけませんね。

フレームを組んでネットを掛けるくらいしか思いつきませんが・・・。


センサーで犬の鳴き声でも出すようにしましょうかね。


それから、見てください。

庭にはもうこんなに雑草が・・・。


どうしてくれよう。近々、造園屋さんが来るので芝を敷く際に処理してくれるんじゃないかと思って手を付けてません。


そして、猫に食われて無残な姿になったミラクルニーム。

頼むから食わんでくれ。まったく、あれは猫じゃ無くて毛虫です。


おまけはカワウソの握手会。

なんか、参院選で投票をお願いする議員さんみたいですよね。


「どうか私に投票してください。よろしくお願いします」


いきものがかりのボーカルの女の子はカワウソに似ています。本人も証人済み。


さて、明日は朝からJCOMとNURO光の工事、それにカーポート業者さんとの打ち合わせが入っています。

珍しく忙しいです。

思い出の百合

百合です。

なんとか百合って言うんでしょうが、分かりません。


この百合、随分昔に今は亡き私の母が父方の実家に言った際に気に入って苗を買ったものだそうです。ところが、いざ持ち帰ろうとした時に自宅に植える場所がないと、母方の実家に預けて帰ったそうです。


それから長い時間が経ち、母の一番下の弟が大切に育ててくれたおかけで沢山の株が花を咲かせていました。


今回、その百合を一株だけ持ち帰ることになりました。


母の心残りが長い年月の末にやっと目的地に着こうとしています。


しかし、新居ではまだ庭のレイアウトすら決まっていないため、再び近くに住む母の三番目の弟のところで預かって貰うことに・・・。


できれば、和室の仏壇から見える窓の外に百合の花が見えるように植えて上げたいと思います。

ルーツを求めて東北へ

引き渡しの際に東北から火災保険の代理店をしている従兄弟が来てくれました。

暇な私は帰りに送っていくことになり、ついでにこちらに住む叔父夫婦を乗せて10年振りの里帰りをさせてあげることにしました。

本当はランエボで行きたかったんですが、今回は7人乗りのオデッセイの出番です。


母方の実家は宮城県の刈田郡蔵王町にあります。ここで叔父夫婦を下ろして、父方の実家のある大崎市へ移動しました。


ところで、我が家の系譜は古くは奥州藤原氏の時代まで遡ります。

当家は直系本流ではありませんが、直系を含めてこの姓を名乗るのは国内で3000世帯以下と言う家です。


記録によれば元々は母方の実家である刈田郡辺りを最初の領地として居たようで、後に紹介する刈田峯神社の氏子であっと言います。

この話はルーツにうるさい従兄弟も初耳だったようです。


さて、大崎市の実家で朝を迎えた私は朝食前に従兄弟と二人で隣町の松山町と言うところに向かいました。ここには当家の武家屋敷跡があると言います。


町の観光案内図に屋敷跡の記載がありました。

どうもこれでは分かりづらいので、途中で農家の方々が集まっていたので道を訪ねました。親切にも色々な話も聞けました。ありがとうございます。


迷いながらもどうやらそれらしい場所に到着。


神社がありました。申し訳ありません、身元が割れるので名前は消させていただきました。

白鳥神社とは日本武尊の神話に出てくる悲話が元になっている神社だそうです。


その横に家臣団の慰霊碑もありました。

屋敷跡の場所が不明で、草刈りをしていたおじさんに道を聞くと色々と歴史的な話を聞かせてくれた上、軽トラで道案内までしてくれました。おじさん、○○様と呼んで当家の先祖に尊敬の念を示してくれたことに感謝しています。我々が末裔であると知ると嬉しそうにしていました。本当にありがとうございました。


当家は先に紹介した刈田郡の領地から岩手県の江差地方に移動しています。これは奥州藤原氏の時代で藤原三代記にも名前が散見されます。

後に7万石の小大名まで上り詰めました。

ところが、豊臣秀吉の北条征伐の際に小田原参陣に応じず、小田原仕置きにおいて領地を没収されてしまいます。

私の推理では参陣拒否は正宗の策略があったのではないでしょうか。

また関ヶ原の戦の際に蒲生氏郷の領地であった奥羽で当家の領主が一揆を起こしています。これは正宗と共謀したことはほぼ間違い無く、両者の関係は浅くは無かったと思われます。


北条征伐の後、伊達政宗が会津から奥州へ国替えを命じられた後、正宗の庇護の元、この松山の地に屋敷を構え、120石の禄を得てひっそりと暮らしていたと言います。


この森の向こうに屋敷が建っていたそうです。今は雑草しか生えていない荒れ地だそうです。蚊にさされそうなので足を運びませんでした。

その後、当家は正宗の口利きで伊達藩で役職を得て家名は復興したとあります。


午後から母方の刈田郡へ戻りました。

これが白鳥刈田峯神社です。母方の実家から徒歩5分です。

なんて言うんでしょう。石版・・・。

本殿です。創建は791年、坂上田村麻呂の東夷征伐の時代に建立されたようです。

平安遷都の3年前・・・古いですよねぇ。

当家がここの氏子であったと言うことは岩手への移動は建立の後に行われのでしょう。

松山町の神社が白鳥○○神社と命名されていることから、代々白鳥神社の氏子だったのでしょう。


それにしても母方の実家がある町が我が家のルーツだとは面白い因縁だと思いました。


もう少し詳しくルーツを探るために、秋頃に長年の領地であった岩手県江差地方に行ってみようと思います。岩手県北上市には当家の名を冠した町や川、山が今でもあります。

ただし、この姓を名乗る人は住んでいないとのことです。


もちろん、今度こそランエボで・・・。


以上、宮城県ルーツの旅でした。