ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

鹿児島弾丸ツアー1

去年の北海道函館に続き、今年も弾丸ツアーを決行しました。


年齢的にかなり無理なスケジュールにも関わらず、二人の親父は空っぽな頭で考えた挙げ句「走れば着くさ」くらいでいつものように泊まる所だけを予約して旅行計画とした。


6月9日21時


バタバタと荷物を造り出掛けようとするが女房に引き留められる。玄関前のモッコウバラの蔓が伸びて通れないからなんとかしろと言う。今かよと言うと、前から言ってるじゃないかと食い下がる。仕方ないので雨の中、はさみでチョキチョキやる。


いよいよ出発と思いきや猫が毛玉を吐く。うちの連中、絶対に片付けようとはしない。猫は可愛がるもので世話をするものではないと考えている節がある。良いとこ取りをしようとしてるから根本的に猫達に好かれない。「うちの猫達はお父さんが好きだよね」と良く言うが、そんなもの当たり前に決まってる。ご飯を呉れて世話をしてくれる人が好きと言う事だ。猫だって見る目を持っているのだ。愚か者達には分かるまい。


予定より遅れること40分、やっと自宅を出発する。


6月9日22時半


遅れること30分、いつもの相棒H氏宅のある武蔵小杉に到着。東名高速川崎インターから圏央道の八王子JCTから中央道に乗るプランを話すと調布から直接中央道に乗る方が早いと言う。川崎からなら確かにその方が早いが混む印象があって気が進まない。この時間なら混まないと言うH氏の言を受け入れて調布インター目指してみた。
行ってみれば途中の道がかなり整備されて変わっていた。思いのほか早く調布インターに着いた。


何故に中央道を使うかと言うと低速トラックの行進となる夜の東名高速は遅い上危険極まりないからだ。80キロで走るトラックを85キロのトラックが必死に抜こうとして追い越し車線を占領するから思うように走れない。それに比べて中央道は車自体も少ないしトラックの数は東名高速の1/1000程度しか走っていない。
愛知の小牧付近まで東名高速に比べて一割程長い距離を走る中央道ではあるが時間的にそれほど差が出ない。トラックに囲まれて走ると言う精神的負担も少ないため多少燃料を多く使うとしても私はこちらを選ぶのだ。


6月10日午前7時


途中のトイレ休憩を除いてひたすら走ること9時間にして新名神高速の宝塚SAに到着する。まだ新しいので施設はピカピカだ。ただ、ここはレストランが無くフードコートしかないのがよろしくない。そもそもこの時間は和食の店しか開いていない。
店の上に張られた写真を見ると焼き魚定食がある。心はすでに焼き魚定食で一杯で券売機に向かうもなんと発券していない。焼き肉定食などはあるが朝から焼き肉など食いたくは無い。よく見るととろろとオクラを載せた丼がある。勝手にネバネバ丼と命名して二人でそれを注文する。


意外と旨かった。


新名神で三木JCTを経由して山陽道に入る。いつもなら瀬戸大橋を渡って四国方面に行くところだが今回は岡山方面に向かう。


6月10日午前12時


最初の目的地の広島県呉の大和ミュージアムに到着する。私はヘロヘロだが2つ年上のH氏は意外と元気だ。日頃の運動不足がこう言うところで差と現れる。


駐車場の向かいに巨大な潜水艦「あきしお」が陸揚げ展示されている。でかい。

大和ミュージアムの正面玄関

玄関を入って入場料を支払って進むといきなり1/10スケールの戦艦大和が目に飛び込んでくる。

艦首の菊の紋は戦艦にしか許されなかったもので、巡洋艦や駆逐艦には付いていない。

太平洋戦争時において最も巨大だった超弩級戦艦はこの大和と姉妹艦の武蔵である。


4軸のスクリュー

艦尾には偵察機が見える

艦尾砲塔と鐘楼 46センチ砲1門

船首砲塔 46センチ砲2門

特徴のある鐘楼と対空機銃群

鐘楼には戦闘艦橋、夜間艦橋、探針擬などがある。この頃、欧米の戦闘艦にはレーダーが装備され始めていたが日本艦艇は開発が遅れていて装備されていない。優秀な測量要員の目がレーダーだった。


戦艦大和は大戦末期に片道の燃料を積み沖縄特攻作戦に投入される。沖縄本島に座礁させて浮沈砲台となる予定だったが米軍機の雷撃を受けて途中で海に没した。「俺たちの大和」など映画化されているのでご覧になれば戦艦大和のストーリーが分かるだろう。


続く

×

非ログインユーザーとして返信する