ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

川越に寄ってみた

女房が今朝の便でロスアンジェルスに向かう為、朝の4時に起きて成田空港に送って行った。ディズニーお宅の女房は毎週の浦安詣では飽き足らず、同じ志を持つ同士達と共に2年に1度は総本山(米国DL)詣でを行うのだ。


開園以来、年パスを所持して月に2~3回、うち1日は一泊でホテルに泊まると言う浦安詣でが続いている。


横浜から綾瀬に越して、浦安は遠くなるから詣での回数も減るかと思いきや、休日になると始発の電車に乗るために6時前にはもう居ないのだ。


良く聞かれる「何がいいんだろうね」と言う問い。


頼むから聞かないでくれ。私にだって分からないのだ。


二桁の渡米やその他海外のDLへの旅行など、投資した額は3桁をはるかに超えているに違いない。1万2千円の釣り船に年に5~6回程度行く私の趣味とは掛ける費用が桁違いなのだ。そんなものに投資してなんのリターンがあるのだ。かけ過ぎだろう。一般ピープルの趣味の域を超えていないか?


女房はこれを続ける為に定年まで仕事(フリーのシステムエンジニア)は辞めないのだそうだ。これまで家計の殆どは私の収入で支えてきた。私の収入とほぼ同等の稼ぎを得ていた女房は家に金を入れる訳でもなく、殆どの収入を自分の為に使って来たのだ。
現在の実質的な家長である長女は母親のファンタジー三昧を容認していない。つまり、「おまえに食わせるタンメンはねぇ」なのだ。従って、定年後も女房がこのDL詣でを続けたいのであればそれなりの蓄財が必要なのである。ただ暮らすだけなら仕事を辞めたって問題はないのだ。


世界は広い、もちろん日本だって十分に広い。いったことがない場所に行きたいとは思わないのだろうか。私の最近の旅行は単独あるいは友人と行くか、若しくは下の高校生の娘と二人で行くことにしている。女房とは行かない。ネズミやアヒルが居ないと楽しそうではないからだ。旅行の間中、不満と文句を聞かされるのはごめんだ。


20年程前のこと、軽井沢のペンションの一泊無料宿泊券をいただいて女房と二人で出かけたことがある。綺麗なペンションで夕食にフランス料理のフルコースをいただき、温泉に浸かった翌日、周辺観光をしようと思ってフロントで観光案内を貰って部屋に戻ると今日は友達(例のマニア連中)とカラオケの約束をしているので17時に東京駅の八重洲口に行きたいと言い出したのだ。


私「なんで来たんだよ」
女房「だって、チケットが勿体ないなでしょうに」


怒るより呆れた。別に期日指定のあるチケットではないのだ、予定があるなら別の日だって良かったのだ。亭主との旅行より仲間との遊びが大切だったのである。以来、女房と二人でどこかへ旅行に行こうと言う気が起きない。もちろん、子供の希望で旅行に行く場合は別だが・・・。


女房もいつか目が覚める時が来るかも知れないが、その時になって私は何処にも連れて行ってもらってないなんて文句を一言でも言ったら、相鉄線かしわ台の向かいにあるセブンイレブンのゴミ箱に丸めて捨ててやるのだ。いや、私にも慈悲の心はある。せめて、浦安のDL入り口の手前にあるセブンイレブンのゴミ箱にしてやろう。


さて、成田行きだがコースは大体2つを検討した。


1.保土ケ谷バイパス経由で首都高湾岸線→アクアライン→東関道→成田空港
2.東名高速→首都高湾岸線→東関道→成田空港


私は1で行こうと考えていたが、女房は2にしろと文句を言う。


グーグルマップで調べたらアクアライン経由は遠回りなのだと主張して聞かない。


朝から口論するのも面倒なので横浜・町田ICから東名高速に乗る。案の定、東名と首都高速の連結辺りから渋滞が始まる。ナビのデータを更新していない(3年前のまま)ので新しいルートは案内しない。


案内通りに走ると池袋経由で荒川沿いを南下、湾岸線に出て東関道に入った。とにかく、車が多い。こっちだって偉く遠回りじゃないか。1のルートなら距離はあるが、少なくともこんな渋滞には巻き込まれないのだ。


千住の辺りでそのうち女房がトイレに行きたいと言い出す。車はノロノロ。


「はあ?」


首都高のこの辺りにPAなんてある訳ないだろ。東関道に入るまで我慢しろと言うと、小一時間しかめっ面で我慢していた。


綾瀬の自宅を5時に出て、成田第二ターミナルに到着したのは7時半過ぎだった。


「駐車場に入れる?」


と女房が言うので


「必要ない。ロビー前で降ろすから荷物をもってさっさと行け」


と私。


と言う訳で、トランクから荷物を出すと女房はターミナルに消えていった。


これで、一週間。朝夕の送迎から解放される。(笑)


さて、女房を降ろした後、一度は圏央道をこちらから走って見たいと思っていたので実行に移すことにした。


圏央道は千葉の大栄JCTから始まり、茨城、埼玉、東京、神奈川を通る有料道路である。途中、常磐道、東北道、関越道、中央道、東名と言う高速網と接続する環状線である。ちなみに、今回のコースは端から端を走ると言う壮大なルートなのだ。


始めてつくばと言う土地に足を踏み入れた。とは言え、通過しただけだが、なんと言うか延々と平地が広がる。田畑なのだろう。


これは牛久の観音様かな?

危険を犯して車内から撮影。これもレーダークルーズのお陰であります。


意外にも千葉や茨城、埼玉からも富士山がよく見えるのだ。

認識を新たにした。空気が澄すみはじめるこの時期だから良く見えるのだろう。


さて、このまま帰るのもなんだしと言うことで行ったことのない川越に寄ることにした。


川越市役所の駐車場に車を駐めさせていただき、徒歩で移動する。


シンボルである鐘撞き堂。

小江戸横町の通り。

確かに江戸情緒はある。

侍や町人が歩いていても違和感が無いかな。

このごちゃごちゃ感がいい。

ごめんなさい。写真撮っただけで、何も買い物をしませんでした。


ツアーの団体客が沢山いた。ガイドの説明に聞き耳を立てると中国語だった。今から300年前、日本では既にこう言う町並みができあがっていたのです。このところ、中韓を始めて、アジアからの観光客も増加している川越、日本の歴史をしっかりと見て行って欲しいですね。


韓国の方が日本は韓国が文明を伝えてやったと上から目線で良くものを言いますが、これが明治初期の頃のソウルのメインストリートの写真。

江戸時代の日本の風景と比べてどうでしょうか。ちなみに、朝鮮の時代は染色の技術が普及していなかったので、庶民のみなさん白い服しか着ていません。それに、車輪も無くて牛に積んだり担いだしてました。韓流ドラマのような煌びやかな世界は嘘だらけです。

それから、商品を棚や台に置くと言う発想はなく、なんでも地面に広げていました。朝鮮通信使の使節が来て、日本の商店を見て驚いたと上に報告している記録があります。


その頃の日本の銀座(明治後期)。

韓国では輝かしい近代史を教育するけど、この辺りはスルーなんでしょうね。日本は併合時代に豊かな朝鮮から資源を収奪したと教えています。実際は日本が資金を持ち出して、朝鮮の近代化を推進したのにその事実は教えません。飽くまで韓国人が自力で奇跡を成し遂げたと誇らしげに言います。併合は韓国の未来を押さえつけた、もし併合されなかったらもっと凄い国になっていたと教えているとか・・・。
あまりにも格差がありすぎて、文明の師としての自負があるだけに事実は教えられないのでしょうね。


併合後にこうなりました。綺麗にしてごめんなさい。

で、自力で歴史を調べた若者は衝撃を受けるんだそうです。はっきり言って、朝鮮の1800年代は日本の平安時代の荒れた京都みたいな感じでしたから。


駐車場に戻る途中にあった怪しい看板。なにか、いかがわしい香りがした。(笑)


今回、始めて川越と言う土地に足を運びましたが、こう言う町並みはずっと保存して欲しいですね。歴史的に日本を誤解している諸国の方に本当の歴史を学んで欲しいと思いました。












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