久しぶりの夜遊び(^^)
夜の8時過ぎに女房を駅に迎えに行く。
自宅へ戻る車中、女房が突然に私はどうもヘモグラビンが少ないのだと言う。
ヘモグラビンが少ない?
ヘモグロビンは赤血球を構成する要素で、それだけでは存在しない。ヘモグラビンは肺で酸素を受け取ると鮮やかな赤色となり、手放すと暗い赤色に変化する。
今から40年ほど前に東京の本郷辺りで人工心肺の開発に関わったことがある。患者の血液をポンプで吸い出してガス交換ユニットに血液を送り込み、そこに酸素をブクブクしてやると血が綺麗な赤に変化するのでそれをまたポンプで送り込むと言う仕組みだ。
ちなみに人工心肺は心臓手術などで一時的に心臓と肺の替わりをする装置。もう一つ関わっていたのは人工腎臓、いわゆる透析装置。これもやはりポンプで血液を吸い出して、ユニット内の高分子素子の浸透圧を利用して血液中の不純物だけを濾過するもの。ところで、人工肝臓は出来たのだろうか。当時、肝臓の機能を再現するには東京都の面積を必要とする化学プラント群が必須と言われていたが・・・。
これが人工心肺装置。今でこそコンパクトだが、40年前のものは襖3枚くらいの大きさがあった。
今は血圧、心拍などの各種情報で自動制御されているだろうが、昔は手動でポンプの回転数などを専任が微調整していた。
話が逸れた。
女房が言ってるのはたぶん赤血球が足りないと言いたいのであろうと推理する。
ヘモグラビンは肺から酸素を受け取って体中に運ぶ役目があるので、君は常に酸欠なのかねと聞くと、昔からだから気にならないと言うかヘモグラビンが多かった時を知らないので比較のしようが無いという。
女房の母親は今の女房の歳に白血病で亡くなっている。確か55歳だった。
女性には「血の道病」と言うのがあるらしい。
中国の医術の考えらしいが、子宮が十分な血で満ちていると女性は心身共に健康でいられる云々・・・。
造血には鉄分が必須なので、女性は鉄分を含む食事を意識して摂取してほしい。貧血は体質なので、閉経後も注意が必要。
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さて、家に戻って軽自動車を駐め、横にあるSLKを眺めると・・・。
「走ろうぜ」
そう誘っている。(勝手な思い込み)
取りあえず一端家に入る。
次女は和室でSWでゲームをやっている。今日で夏休みも終わりなので今夜は早く寝ろよと声を掛ける。
無視・・・。(娘は自分の都合で一方的に喋るが、他人の話は余り聞かない)
書斎にいるラムに夕飯を与えてから洗濯室にいる女房に声を掛ける。
「走ってくる」
もちろんジョギングなどではないことは分かっている。
女房は走る振動が頸椎に悪いことは知っているで私が走ると言えば車で出かけると承知している。
どこへ行くなどとは聞かない。聞かれてもどこへ行くか決めていないから答えられない。ただ、間違いないのは西へ向かうことだけ。
玄関の鍵は持ったかと聞かれたので持っていると答える。
県央道で平塚へ出て、西湘バイパスで小田原に出ようと思ったが、海老名JCTで入り口を間違えて八王子方面に乗ってしまう。前にも一度間違えたが、すぐに次の県央厚木で降りて一般道を南下、厚木から小田原厚木道路で西を目指す。これで30分のロス。
小田原厚木道路を降りて旧道を走り湯河原を目指す。22時半、ミカン畑の下を通る旧道には一台の車も走っていない。
コーナリングを試すように走る。連続するカーブだが、50キロ程度で流す分にはブレーキの必要が全く無いほど良く曲がる。感覚としてはタイヤさえいい物を付けて居ればコペンの方が軽快に走ると思われる。
湯河原に到着。いつもなら「つばきライン」で箱根方面に北上するのだが、今日は行かない方がいいと言う予感がしたので今回は止めにする。
夕飯がまだだったことに気づき、湯河原のすき屋に立ち寄る。
ネギキムチ牛丼の健康セットを注文する。
若い女性客が2組、私が食べ終わっても居座っていた。この辺りでは深夜のすき屋がおしゃべりスポットなのだろうか。
帰りは真鶴道路を経由して西湘バイパスに乗る。
大磯の料金所を出たところで購入以来始めてスポーツモードにしてアクセルをベタ踏みしてみた。
思ったいたより早い。
数値的には184hpしかないのだが、相当早い。
ランエボの加速とまではいかないが、十分な加速力だ。
直噴ターボは始めてだが、こう言うものなのか・・・。
気がつくと書けないような速度になっていた。それも道路は直線ではなく大きくカーブしている。ヒエーっとばかりに追い越し車線を吹っ飛んでいく。
追い抜いた車の中に屋根を開けた白いSLKが居た。ドライバーがこちらを見ていた。
若い頃、ポンコツのギャランGTOで最高速に挑戦と言って大磯の直線で何分も掛けて最高速を出した時代が懐かしい。
SLKは1分足らずでGTOで最高速をあっさり更新することが可能だろう。
その後は制限速度+アルファで軽自動車に煽られながらのんびりと帰る。
同年のオヤジ達が晩酌後に大イビキをかいて寝ている頃、私はこうやって夜の道を走っている。それは40年前から変わらない。
一晩で一升瓶の半分を空ける父親をもちながら、全く酒を飲まない息子だと驚かれたものだが、酒よりハンドルを握っている方が楽しいのだから仕方が無い。
いくつになるか分からないが、免許返上のその時まで私の車道楽は終わらないだろう。
おまけ
これは今週末に一泊で妙高高原へ出かける大まかなコース。
約700キロの道のり。友人と二人で交代で走る予定。
9月には再び高松経由で広島の厳島神社を目指す予定。
暴走オヤジの走りは続く。