ぽこにゃん積水ハウスの里楽で平屋を建てる

2016年の7月に積水ハウスの里楽で平屋を建てました。
神奈川県のど真ん中に敷地130坪、延床43坪の家です。始めての庭造りや家庭菜園に悪戦苦闘しています。
趣味の釣りなど、遊びや日常のことも書いていきます。

悲しい介護の事件

こんな記事が載っていました。
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一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。


  母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。


  そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。


 「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。
  その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。


  京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。冒頭陳述の間、被告席の長男は背筋を伸ばし、眼鏡を外して右手で涙をぬぐう場面もあった。


  裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


  判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
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やるせない話です。読んでいて母子の最後の会話に涙が出てきました。
裁判所のイメージって乾燥したイメージがあるんですが、この記事はとても湿り気があります。母を殺した殺人容疑ではありますが、そこには止むに止まれぬ事情があったことに同情する裁判官の姿に人情を感じました。
執行猶予を言い渡され、幸せに暮らしなさいと言われた被告の男性は結局は数年後に自殺してしまいました。


独身で親と二人暮らし、親が認知症に罹る頃には子供ももう五十代で、介護のために一度職場を退職すれば再び職を得るのは非常に困難です。
ほんとに役所の杓子定規な対応には腹が立ちます。
先日も事前に連絡して来てくださいと言うので行ったところ、この件はすぐに受け付けられないと言われて、プッチンと切れました私。窓口の人に三十分も食い下がったところ、上司が出てきて特別にと受け付けてくれましたが。(おい、うるさく言えば対応するのかい。従順な人は門前払いかよ!)


生活保護で毎日パチンコをして遊んでいる人も居ると聞きますが、こう言う方達にこそ温かい手を差し伸べて欲しいものです。


毎年、高額な納税をしていますが、出来ることなら自分の税金をこう言うことに使って欲しいと指定できるようにして欲しいですね。
仕方なく払っている税金だって、納得のいく使途であれば文句は言いません。


本当になんとかならないんでしょうか。悲しすぎますって。


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